2012年5月15日火曜日

チワワs in Ann Arbor 200810


日本での不妊治療 ( その2 )


両卵管閉塞のため、自然妊娠は無理、IVFしか道がないと宣告された私。
早速ロビンちゃんにメールしました。

 私もIVF受けることになったよ・・・。
 日本だと、自分で注射はしなくていいみたい。
 費用はだいたい4000ドルくらいだって。
 日本はアメリカより何でも高いと思っていたけれど、
 不妊治療代だけは日本のほうが安いんだね。

アメリカでIVF(体外受精)を受けると、1回1万ドル(約100万円)はかかってしまう
というのを、ロビンちゃんから聞いて知ってましたから。

( そうはいっても、40万円というのは我が家にとっては大金ですよ、もちろん。 )

ロビンちゃんからのお返事には、とにかく費用がアメリカより安くてうらやましい。
IVFと� ��行して鍼治療を受けると、成功率がアップするという研究結果があるから
試してみたら? 
私も鍼 ( acupuncture ) に通っているけれど、とてもリラックスできていいよ、
などなど、激励の言葉とアドバイスをいろいろと書いてくれました。

IVFの予約を入れたら、一番早くて4ヶ月先だったので、
それまでの間タイミング法を試みました。
検査結果で両卵管閉塞と言われた人が、どういうわけか自然妊娠した
という例もある、とのことで・・・
しかし、そんな奇跡は我が家には起こらず、2005年の1月、初めてのIVFに挑戦。

ぴったり8時間おきの1日3回の鼻スプレーによって
通常の卵巣の働きを抑制すること数週間。
たくさんの卵を育てるために病院で打ってもらう筋肉注射 (痛い! ) が
約1週間、毎日。
そして採卵。
私が通っていたクリニックでは部分麻酔で行なわれたのです� �、
膣に打たれた麻酔注射が思いのほか痛く感じられ、
パニック障害 ( 体がガタガタ震えて過呼吸に陥る ) になったため
やむなくガスを吸わされ全身麻酔に切り替え・・・という情けない採卵となりました。

採卵数8個、そのうち正常に受精したのが5個、
そのうち胚盤胞にまで成長したのが2個。
ということで、その2個の胚盤胞を移植しました。


"ヘレン·ガレスピー"拒食症

胚盤胞とは・・・
通常、移植(子宮に戻す)のは、採卵日に受精させてから3日目の受精卵 
(細胞が8分割くらい) なのですが、5〜6日目まで培養を続けて
成長させたものが、胚盤胞です。 細胞数は1000以上。
3日目の受精卵を移植するよりも、胚盤胞を移植したほうが
着床率がやや高いといわれています。

2回目のIVF時にもらった胚盤胞の写真。 我が子の原型かと思うと、卵の形でも愛おしかった。

期待が大きくふくらんでしまった初めてのIVFでしたが、結果はX。

* * *

2回目のIVFは、5ヵ月後の6月。

1回目で卵胞の成長にばらつきがあったため、
鼻スプレーを両鼻から片鼻に減らしたところ、
採卵数16個、うち正常受精したもの9個、そのうち4つを凍結保存。
残り5個のうち、4つが5日目で胚盤胞に成長。

受精卵は、分割の速度や見た目のキレイさでグレードがつけられるのですが、
この時の私の胚盤胞は、とてもいい状態だったらしく
「 3つ戻すと3つ子になっちゃう恐れがあるから 」 ということで
中でも優れている2つを移植することに。

お腹に戻した胚盤胞のうちの1つ。  上の写真とこれの2つを移植したのです。

残り2つの胚盤胞は、残念ながら破棄処分。
なぜなら、このクリニックには胚盤胞を凍結保存しておく技術がなかったから。
今思うと、非常に悔やまれてなりません。
だって、今お腹にいる子は凍結胚盤胞移植によって授かったんですもの。

IVFを行なう病院を決める際、胚盤胞凍結をしてくれるかどうかも
チェックポイントですよ。
当時の私はよく知らなかったので、こういうもったいないことになってしまいましたけど。

「 3つ戻したら3つ子になっちゃうかもしれないから 」 とまで先生に言われて
期待するなっていうのが無理! だった2回目のIVFも、結果はX。
この時はさすがに激しく落ち込みましたね。
あんなに優秀と評価された胚盤胞を2つも戻したのに妊娠できない� �んて、
私の体が、子宮が、ダメなのかな・・・って。

* * *


食品や窒息子供

さらに数ヵ月後の11月に、凍結胚移植をしました。
2回目のIVFで凍結保存しておいた受精卵 (8分割) 4つのうち、
融解過程を無事に乗り切った2つをお腹に戻したのです。
・・・が、またもや結果はX。

この時点で、私はこのクリニックを去る決心をしました。
というのは、ネットで調べて知った 「 詰まった卵管を通す手術 」 を
受けたいと思ったから。

それと同時に、ロビンちゃんからのアドバイスを受けて
最初のIVF時からずっと通っていた、鍼治療もストップしました。

FT ( falloposcopic tuboplasty 卵管鏡下卵管形成術 ) の
第一人者といわれる、慶応大学病院のS先生のもとをたずね、
FT手術を受けたのが、2006年1月。
開腹手術ではないので、麻酔は頭がボーっとする程度の軽いもの。
気付いたら激痛で、叫んだり呻いたりせずにはいられませんでした。
詰まっている管をむりやり通す、あるいは癒着しているところをはがすわけだから
やっぱり痛いに決まってますよね。

この時、看護婦さんの1人が私の左手を握っていてくれたのだけど、
私、あまりの痛さにその手を思いっきり握りつぶしていて、
これじゃ看護婦さんの手が折れちゃう・・・と思い
途中でパッと離して、代わりにベッドの縁をつかもうとしたんです。
でも、なかなかうまくつかめなくて。
そうしたらそ� ��看護婦さん、私の手を取りなおして握ってくれて・・・。
あの時のこと、ずっとずっと忘れられません。

S先生により、両方とも開通させてもらった私の卵管。
このFT手術から半年間は自然妊娠する可能性が高い、ということでしたが、
当時すでに半年後にアメリカに駐在に出ることがわかっていたので
少しでも確率が高くなるように、とAIH(人工授精)をお願いしました。

それから渡米までの半年間に、ほぼ毎月、計5回のAIHを試みましたが
一度も妊娠に至らず・・・。

その半年間、他にも新しいことに挑戦していました。
それは漢方薬。
ちゃんと煎じて飲む、本格的な漢方です。
( ものすご〜くマズかった・・・。 )


うつ病の人の身体的虐待の子

いい胚盤胞を移植しても妊娠できなかったので、まずは体質改善が先なのかな、
受け入れ態勢を整える体作りが必要なのかな、と思って。
いいと言われるものはすべてトライしてみたいという気持ちもあったし。
この漢方の先生には、
「 お腹がつっぱってる。 体が冷えてる。 これじゃ何をやってもダメだ。
  最低3年はかかるね、妊娠できるまでに。 」 
と言われていましたけど。

私の不妊治療に対する考え方は、
ロビンちゃんから大きく影響を受けていたと思います。
彼女がメールで口癖のように繰り返し書いていた言葉、

「 できること全てやってみて、それでもダメだったのなら
  It wasn't meant to be.  ( そういう運命だった ) と諦められる。 」

に共感して。

というわけで、最後の半年は漢方とAIHを平行して頑張っていましたが、
日本出発前に妊娠することはできず。
でも、FT手術によって卵管が通り自然妊娠も可能となったので
アメリカでは不妊治療はせず、自然にまかせようと思い、日本を発ちました。
もしも渡米後、しばらく経っても妊娠できなかった時には
日本に一時帰国してまたIVFに挑戦しよう、って考えていました。
アメリカだとあまりに高額すぎて・・・飛行機代を入れても
日本で受けたほうが安いですからね。

こうして、アメリカのケンタッキー州ルイビルへと旅立ったのでした。
まさかアメリカでIVFを受け、そして妊娠することになるとは夢にも思わずに。

今振 り返ってみると、日本で不妊治療を受けていた時期は、
精神的に苦しいことが多かったように思います。
赤ちゃんが欲しい気持ちが、今思えば最高潮に強かったにも関わらず
何をやっても妊娠できなくて。
勉強や仕事と違って不妊治療というものは
頑張ってもそれが結果にはつながらないし。

なにか仕事をしていたほうが気が紛れていいかと思っても、
治療と両立するには簡単なバイトしかできないし。
英語を忘れないようにと、米軍基地でバイトしてましたけど、
仕事を始めたって、結局妊娠できなかった。


毎年増えていく、赤ちゃんの写真入りの年賀状。
赤ちゃんとママが出ているテレビCMを見ては胸がチクンと痛んだり。
IVFでXの結果が出た日や、それからしばらくは
街で妊婦さんや赤ちゃんを見かけるのも辛かった。
相手に悪気がないとわかっていても、
何気ない 「 お子さんは? 」 という言葉にいちいち傷ついて。

「 諦めた頃にできる 」 という言葉が一番辛かったですね、治療中の身にとっては。

それに、両卵管が詰まっていた私にとっては、
どうしても医学の力が必要なわけで、諦めて何もしなくなったら
本当に何も起らないままの可能性が99%以上でしたから。

ただ、心理学科出身の私は、精神的なものに興味はあったので、
3 回のIVFのうち、移植から判定日までの2週間を
「 期待して待つ 」 と 「 期待せず諦めて待つ 」 の2パターンで
過ごしてみたりもしました。 
実験のつもりで。
結果は前述の通り、どっちの精神状態でいようとXだったんですけどね。

アメリカに来てからは、少し気持ちに余裕が出るようになりました。
ハナまろの2匹の存在が大きかったかな?

次回は、アメリカで受けた不妊治療について書きます。

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